出典:FIVB

“鉄腕エリカ”から“伝説のエリカ”へ。選手生命の危機も乗り越えた荒木絵里香選手の経歴や活躍まとめ

773 Views

竹下佳江選手、木村沙織選手や佐野優子選手など、2012年6月のロンドンのオリンピックで銅メダルを取った選手達が引退する中、今でも現役として活躍する荒木絵里香選手。当時は主将としてチームを引っ張り、全日本女子バレーに28年ぶりとなる銅メダル獲得に貢献しました。

出典:FIVB

今回は全日本の主将を務め、鉄板エリカと呼ばれるまでに成長した荒木選手の選手の経歴や、荒木選手のさまざまな画像をまとめてみました。

荒木絵里香選手の出身地や経歴は?

荒木選手は、 岡山県倉敷市出身で1984年8月3日生まれ、現在35歳のミドルブロッカーです。

小学5年生の時にバレーボールを始め、すでに当時の身長は174cmだったそうです。小学校6年生のときには180cmに到達していたというのも驚きです。

荒木絵里香選手の小学生時代

出典:あさチャン

荒木絵里香選手の出身地や出身校は?

荒木選手は岡山市立倉敷北中学校出身

荒木選手は地元・岡山県の岡山市立菅生小学校を卒業後、地元・岡山県の岡山市立倉敷北中学校に進学しました。
倉敷北中学校時代には、アクエリアス杯の「選抜メンバー」、「オリンピック有望選手」に選出されています。

荒木選手は成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)出身

バレーボールの名門成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)時代には、「春高バレー」、「インターハイ」、「国体」の3連覇を達成しています。

また、のちに日本女子バレー代表となる同期の大山加奈選手、1つ下の後輩木村沙織選手と共に3連覇を成し遂げています。

2006年から開花した“鉄腕エリカ”

2003年、高校卒業後は同期の大山加奈選手と共に東レ・アローズに入団。

入団1年目からアタック決定率2位に入りベスト6を受賞し、同じ年に全日本に初選出されたものの、同期の大山加奈選手が日本の大砲として出場した2004年のアテネオリンピック。荒木選手は登録選手からは外れてしまいます。

翌年以降も全日本に呼ばれるものの当時全日本のミドルブロッカーは杉山祥子選手や、大友愛選手などスピードを活かした選手が活躍しており、荒木選手の出場機会は多くありませんでした。

当時の全日本もスピードやコンビネーションを活かした方針だった中、荒木選手はブロードに回る攻撃も得意ではなく「パワー」で勝負するタイプの選手でした。

しかし、持ち前の努力で“練習の鬼”と化し、めきめきと力をつけていきます。

2006年に開催されたワールドグランプリでは決定率90%の活躍をみせ、“鉄腕エリカ”の愛称で活躍することになります。

所属していた東レ・アローズでも、

  • 2008年天皇杯・皇后杯全日本選手権優勝
  • 2007/08Vプレミアリーグ リーグ初優勝
  • 最高殊勲選手賞・スパイク賞・ブロック賞・ベスト6賞受賞

と華々しい結果を残し、アタック決定率54.7%は日本記録(日本人最高)を樹立します。

また、2008年に開催された北京五輪にも出場し、日本はベスト6という結果に終わりましたが、荒木選手自身は北京五輪ベストブロッカー賞を受賞しています。

今の荒木選手しか見たことがない方は、荒木選手がAかBクイックしか打っていなかったと聞くと衝撃かもしれませんが、荒木選手が一試合ごと、大会ごとに成長していく姿はファンを感動させてくれました。

北京五輪後にイタリア移籍、東レに復帰し3連覇

2003年に東レ・アローズに入団して以来、東レ・アローズで活躍していた荒木選手ですが、2008年9月にイタリアプロリーグ・セリエAのベルガモへ1シーズンの期限付きで移籍しました。

その後、2009年10月に東レ・アローズに復帰し、チームの3連覇に貢献。
荒木選手もスパイク賞とベスト6を受賞するなど日本人トップレベルのミドルブロッカーへと成長していきました。

2007年夏には京阪電鉄のマナーポスターに起用され「ブロックの名手荒木選手は音漏れもシャットアウト」というキャッチコピーも!

世界バレー、そしてロンドン五輪で銅メダル獲得

2009年5月に招集された全日本代表チームでは主将となり、2013年5月までチームを牽引した荒木選手。

2010年11月に世界バレーに出場し、銅メダルを獲得しました。
翌年のワールドカップでは、同じポジションだった大友愛選手、井上香織選手などミドルブロッカーに怪我が相次いだ中、全日本不動のミドルブロッカーとして、ワールドカップで4位、東レアローズでも全日本バレーボール選手権優勝、2011/12Vプレミアリーグ優勝を果たし、4年ぶり2度目のMVPを受賞しました。

荒木選手が語る「バレー人生で最も印象に残る試合」

キャプテンとして迎えた2012年ロンドン五輪。
ロンドン五輪当時、荒木選手のコンディションは万全ではありませんでした。

こちらの動画は荒木選手が「バレー人生で最も印象に残る試合」と語る、ロンドン五輪準々決勝で中国と対戦したときの様子です。

「ギリギリの死闘の中、プレーしながらずっと鳥肌が立っていました。感じたことのない感覚を覚えたんです。“みんなでメダルを取るんだ”という一体感もすさまじくて、あそこまでの団結は生涯1度きりだと思いますね」

荒木選手自身語っていらっいますが、選手だけではなく、日本のバレーボールファンみんなが団結した試合だったと思います。

ロンドン五輪後2012-2013年シーズン限りで現役引退を決めていた荒木選手ですが、当時の全日本の監督であった真鍋さんから熱心に勧誘され、現役を続けることを決意したそうです。

吉原知子選手(現JTマーヴェラス監督)、竹下佳江選手(現ヴィクトリーナ姫路監督)のように、強烈なキャプテンシーでチームを引っ張っていくキャプテンではなく、「背中と気迫でチームを引っ張っていく」荒木選手の姿に、ファンも胸が熱くなりました。

元ラグビー選手の「四宮洋平」さんと結婚、出産

ロンドン五輪後、荒木選手は2013年6月18日に、元ラグビー選手の「四宮洋平(しのみやようへい)」さんと入籍し、2014年1月に「和香」ちゃんというお子さんを出産しています。

出産からわずか9か月後、2014年に上尾メディックスで現役復帰を果たした荒木選手。
選手生活と子育ての両立は大変ですが、お子さんから学ぶことも多いそう。バレーボール一筋の生活から、子育ての日々の中で新しい発見や喜びを感じることがたくさんあり、とても充実した生活を送っているそうです。

2015年には上尾メディックスを退団し、現在は愛知県刈谷市に本拠地を置くトヨタ車体クインシーズでプレイしています。

荒木選手の復活の裏にあった選手生命の危機

現役選手としても復帰し、全日本にも戻ってきてくれた荒木選手ですが、出産後ドクターに「もう競技はいいでしょう」と言われるほどの選手生命の危機に直面していたのをご存知でしょうか。

出産後、荒木選手は激しい疲労感とめまいに襲われていたそうです。
検査の結果、心臓の不整脈が発覚。手術を余儀なくされました。

そんな姿を微塵も見せることなく、荒木選手はリオ五輪でもキャプテンだった木村沙織選手を支えるベテランとして、気迫のプレイでチームを引っ張り続けました。

荒木絵里香選手のすごさがわかる動画2選

Best middle blocker Araki Erika (JPN).

「アジアのベストミドルブロッカー10」にも荒木選手がピックアップされていました。

10 Best Middle Blockers in Asian

荒木絵里香選手のtwitterやインスタグラムは?

そんな荒木選手はtwitterやインスタグラムでも、荒木選手らしいほっこりとした投稿を続けています。
和歌ちゃんとの投稿もどれも素敵ですよね(*’U`*)

荒木絵里香選手のインスタグラム

 

この投稿をInstagramで見る

 

来年は小学校入学‼︎ ランドセルを買うことをラン活というらしいー。 ステキなランドセルが買えて良かった(^^)

荒木 絵里香/Erika Arakiさん(@erika_araki_official)がシェアした投稿 –

荒木絵里香選手に関するインスタグラム(#荒木絵里香)

“鉄腕”から“伝説”へ 荒木絵里香選手まとめ

いかがでしたか?
国内でプレイするバレーボール選手の中でも大ベテランとなった荒木選手。

14日から開幕するワールドカップはもちろん、来年の東京五輪でも“伝説”として“世界をぶちぬき”、「背中」で後輩たちを引っ張っていってほしいです!

ママさんバレーボーラーとしての荒木選手の活躍にも期待しましょう!

 

荒木 絵里香 選手の基本データ

荒木 絵里香
出展:FIVB

荒木 絵里香 (あらき えりか)
ERIKA ARAKI

ニックネーム
エリカ
シャツネーム
ARAKI
ポジション
MB
誕生日
1984年8月3日
出身地
岡山県倉敷市
血液型
O型

スペック

身長
186cm
体重
81kg
指高
239cm
最高到達点
302cm
サージャントジャンプ
62cm
スパイク
302cm
ブロック
297cm

所属チーム

現所属チーム
トヨタ車体クインシーズ
前所属チーム
東レアローズ→ベルガモ(イタリア)→東レアローズ→上尾メディックス
出身高校
成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)
出身中学校
市立倉敷北中学校
出身小学校
市立菅生小学校(すごうJVC)

公式プロフィール

タイトルとURLをコピーしました